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大阪地方裁判所 昭和52年(ヨ)5659号 判決 1980年2月22日

申請人

西田慶治

(ほか一四名)

右一五名訴訟代理人弁護士

武村二三夫

大澤龍司

被申請人

岡谷鋼機株式会社

右代表者代表取締役

岡谷康治

右訴訟代理人弁護士

中筋一朗

益田哲生

荒尾幸三

主文

本件申請をいずれも却下する。

申請費用は申請人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  被申請人は申請人らを被申請人の従業員として仮に取扱え。

2  被申請人は申請人らに対し、それぞれ昭和五二年一二月以降本案判決確定に至るまで毎月末日限り別紙(略)賃金表記載の各金員を仮に支払え。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  被申請人は、明治四二年頃設立の岡谷合資会社と昭和一二年五月設立の株式会社岡谷商店が同年七月に合併したもので、肩書地(略)に本店を置き、産業資材、とりわけ鉄鋼関係の商品の売買等を目的とする資本金一五億円の会社である。

2  申請人らは、いずれも申請外福崎運輸株式会社(以下、福崎運輸という。)の従業員として勤務してきたものであり、いずれも全日本港湾労働組合(以下、全港湾という。)大阪支部福崎運輸分会(以下、分会という。)の組合員である。

3  福崎運輸は、被申請人会社とは形式上別会社として独立した法人格を有しているが、次に詳述するとおり、全面的に被申請人の支配下にあって、その営業形態からみると同会社の一部門にすぎないものであるから、後記理由により申請人らと被申請人会社との間には、直接の雇用契約が存在するか或いは雇用契約が存在すると同様の法律関係にあるところ、被申請人は申請人らが被申請人会社の従業員としての地位を有することを争っている。

(一) 福崎運輸の沿革

(1) 岩朝増太郎(以下、増太郎ともいう。)は、岡谷合資会社の設立以来同社にいわゆる仲間(荷扱夫)として勤務していたが、昭和一六年に独立して被申請人会社大阪支店専属の労務供給及び陸上運送を業とする福崎運輸の前身である岩朝組を創立した。

右岩朝組は、昭和二九年七月に岩朝運輸株式会社(以下、岩朝運輸という。)に組織変更され、同三一年一二月岩朝運輸は被申請人会社大阪支店、本田倉庫及び福崎倉庫の作業員全員一一名を引取り、両倉庫の沿岸荷役及び倉庫作業も担当することになった。

すなわち、福崎運輸(岩朝運輸)の倉庫部門は、被申請人の従業員を引取って出発し、その業務も右両倉庫の被申請人会社大阪支店の取扱商品に設立当初から限定されていたのである。

(2) 被申請人は、昭和三六年六月岩朝運輸の株式の六〇パーセントを取得し、昭和三六年に天野喜一(被申請人会社総務部長)、同四一年に皆部敏夫(同会社同部長)、同四三年に沢田貢(同会社福崎倉庫所長)を岩朝運輸の代表取締役として順次送り込み、同会社の取締役会も毎月一回被申請人会社大阪支店において同会社常務取締役兼大阪支店長近藤某の出席の下に開催されていた。また、被申請人は、福崎運輸における総経費の限度を指示し、福崎運輸従業員の作業についても直接の指揮監督に当るようになり、岩朝運輸の事務所も福崎倉庫内に移され、岩朝運輸が担当する倉庫部門も福崎倉庫のみとなった。

そして、岩朝運輸は、昭和三七年八月二二日沿岸荷役について「岡谷鋼機株式会社の鉄鋼材、銑鉄に限る」と業務を限定のうえ免許を受ける等、名実ともに被申請人の完全な支配下に入り、その一部門として機能するようになった。

(3) ところが、昭和四四年になって、被申請人は、突如として岩朝運輸の株式全部を株式会社市原商店(以下、市原商店という。)に譲渡し、被申請人が派遣していた全役員を福崎運輸から引揚げ、さらには岩朝増太郎及び同徳三をも辞任させると同時に市原商店の役員である姫田清美を福崎運輸の代表取締役に就任させたのを始め、同会社の役員を全て市原商店から派遣させた。被申請人の右株式譲渡及び役員の交替は、被申請人において申請人ら分会の被申請人に対する親会社としての責任追及を回避せんがためになされたものである。つまり、被申請人は福崎運輸の親会社性を隠蔽するため、自己の出向者のみならず岩朝一族をも福崎運輸から排除し、分会との団交において被申請人とは無関係の市原商店の役員を出席させることによって分会の被申請人に対する追及をそらすことが主眼であった。

(4) 昭和四八年六月一二日に、市原商店も岩朝運輸の全株式を市原商店の出身者である麻植孝幸に譲渡すると同時に全役員を引揚げ、以降同五二年一〇月二一日福崎運輸がその業務を閉鎖(以下、本件閉鎖という。)するに至るまで、右麻植が同会社の代表取締役に就き、右麻植の就任直後に岩朝運輸を福崎運輸とその商号を変更した。

ところで、市原商店の岩朝運輸撤退の主たる理由は、その頃被申請人において自己の倉庫運輸部門が莫大な赤字を計上するようになったことから、昭和四八年七月一日右部門を廃止し、自家倉庫の業務は、関連の営業部門で担当することによって営業部門全体での収益を合わせるように企図したために、倉庫そのものは一応別会社の岩朝運輸に下請させている関係上、場合によっては岩朝運輸を極端な赤字にすることも可能であること、そうなると赤字の累積から大幅な合理化問題も生じ、それが効を奏さないときはひいては倒産という事態も予想され、市原商店も福崎運輸に役員を派遣している以上いずれ労働争議に巻きこまれることをおそれたからである。このような見通しであったからこそ、被申請人も市原商店の岩朝運輸の株式譲渡、役員引揚げの申出に対し抵抗することができず、結局当時市原商店の岩朝運輸に対する債権という名目の赤字一一九〇万円を被申請人が肩替りしたのである。

(二) 福崎運輸の非独自性

(1) 福崎運輸の役員は、昭和四八年六月以降代表取締役麻植孝幸、取締役伊丹常夫、麻植朝、監査役大島隆一で構成されているが、麻植はじめ各役員は名目上のものにすぎず、福崎運輸の実権は被申請人が把握していた。

(2) 従って、福崎運輸においては麻植が代表取締役に就任後株主総会も取締役会も開催されたことはなく(被申請人に従属していたので、役員会等の必要性もなかったのであるが)、会社法上の手続は全く無視されていた。

(3) また、福崎運輸の本店所在地に関する商業登記簿は虚偽である。すなわち右登記によれば、福崎運輸の本店は昭和五二年九月一一日以前は大阪市西区本田二番町三番地と記載され、同月一二日以降は同区川口一丁目六番一号と記載されているが、右該当場所には本店は存在せず、福崎運輸の有する唯一の事務所は同市港区福崎三丁目一番一八五号所在の被申請人所有の福崎倉庫事務所の一階部分に存在した。

右各事実と後述の被申請人の福崎運輸に対する莫大な資金供与の事実を合わせ考えると被申請人は福崎運輸を完全に支配していたといえる。

(三) 労務関係の混同

(1) 申請人ら福崎運輸従業員に対する賃金、一時金等の労働条件については、被申請人が直接決定するか、または同会社の指揮、監督の下に麻植らに決定せしめていた。すなわち、申請人らの賃金、一時金等についての団体交渉は形式的には麻植と分会との間でなされたが、右交渉の経過は麻植から被申請人に逐一報告され、被申請人の指示に基づいて団体交渉の合意内容が決定された。また、労働条件の内容によっては福崎運輸の管理職を全く関与させず、被申請人が直接申請人らの要求を受けて決定することもあった。

(2) 従って、また福崎運輸には独自の労務管理の余地は全く存せず、就業規則の存否も不明であり、年令給制度、職能給・査定制度がないばかりか申請人らは就業規則を見たこともなく、その適用例もなかった。

(3) 申請人ら組合員は一貫して被申請人会社を福崎運輸の親会社として直視し、昭和五〇年にも分会は被申請人に対し団体交渉の申入れをしたところ被申請人はこれを受諾し同五一年七月三〇日以降岡谷福崎作業連絡会議と称する実質的な団体交渉が持たれることになり、右会議には被申請人福崎倉庫所長、申請人ら代表及び麻植社長らが出席し、その席上で福崎運輸の作業内容について討論すると同時に、右倉庫所長が申請人らに対する作業遂行上の注意等もしていた。

(4) 本件閉鎖に際して被申請人も福崎運輸と連名で労使問題についての念書を海運局へ提出する一方、閉鎖に伴う福崎運輸従業員に対する退職金・解雇予告等の金員は全て被申請人が出捐した。

以上の事実は、被申請人の福崎運輸従業員に対する直接的な指揮監督権の行使の一態様であり、労務関係における被申請人の福崎運輸に対する支配の証左である。

(四) 営業及び業務の一体性

(1) 福崎運輸の業務は沿岸荷役、副作業及び陸上輸送であるところ、沿岸荷役事業に関する取得免許は荷主及び品種について被申請人及びその取扱品種に限定されたものであり、陸上輸送に関する免許も被申請人の貨物を前提にする取扱製品に限定されたものであったから、福崎運輸の取引先はほぼ一〇〇パーセント被申請人に依存していた。

従って、福崎運輸には閉鎖に至るまで営業部門は存在せず、昭和五二年五月頃までは営業活動もなされなかった。

(2) 福崎運輸と被申請人との間では沿岸荷役の料金若しくは陸上輸送の運賃について各独自の相手方として交渉のうえ決定されたことはなく、副作業についてもその料金は一方的に被申請人によって決定されていた。

(3) 福崎運輸は被申請人に対し毎月二回に亘り定例の営業報告をなすとともに、その際損益計算書、貸借対照表、経費明細表及び資金繰表を提出していた。

(4) 福崎運輸の作業量は全て被申請人の決定及び指揮に基づいてなされ、福崎運輸は右決定等に全く関与できなかった。

(5) 福崎運輸の業務は全て被申請人の伝票、テレックスまたは被申請人会社福崎倉庫の事務職員の直接の指図によって行われたため、福崎運輸の管理職は右伝票或いはテレックスを現場の従業員に伝える単なる伝達機関にすぎず、福崎運輸従業員に対する作業の指図及び指示は直接被申請人によってなされていた。

(6) 右のとおり、福崎運輸の作業は被申請人からの文書(特に入出庫に関する伝票)が中心であったが、右伝票等の管理も福崎運輸は独自ではなさず、右伝票等は全て被申請人の下に集められ且つ保管され、福崎運輸にはその写しさえ残さないというものであった。さらに、在庫台帳についても被申請人のみがこれを作成所持し、福崎運輸はこれに類する文書は一切作成していなかった。

要するに業務に関する文書等の管理は全て被申請人においてのみなされていたため、福崎運輸は被申請人に確認することなしには自らの業務の把握はできなかった。

(7) 福崎運輸従業員はその業務に従事中、取引先から被申請人従業員として扱われることがしばしばあったが、申請人らは何ら抵抗をもたず当然のこととして受けとめていた。

(8) 被申請人の作業時間は本来午前九時から午後五時までであったが、福崎倉庫においては午前八時三〇分から午後四時三〇分とされた関係上、福崎運輸の作業時間も、当初の八時三〇分から午後五時までであったのが、その後午後四時三〇分までに変更され、作業時間も統一された。

(9) 被申請人会社において組織運営される福崎倉庫安全衛生委員会は、福崎運輸従業員に対しても被申請人従業員と同様これをその点検対象とした。

以上のとおり営業及び業務上においても両会社は一体性を有し、福崎運輸は独立した人格を持たないどころか、労働者を被申請人会社の構内、設備で働かせて収入を得る福崎運輸の形態は労務供給事業そのものといえる。

(五) 収支及び財産の混同

(1) 福崎運輸は若干のトラックを除いては生産手段を全く有していなかった。すなわち、福崎運輸の事務所、従業員寄り場兼組合事務所は被申請人の所有建物を使用していたことは前述のとおりであり、倉庫、岸壁(A浜・B浜)はいずれも被申請人の専用であり、沿岸荷役の作業に要するジプクレーン、門型クレーン及び三脚クレーンも全て被申請人の所有であるうえに、現場作業に要するワイヤー、盤木、グリース等の消耗品等も全て被申請人から支給されていた。このように、福崎運輸は被申請人の財産を無償で使用し、経費消耗品の全てを被申請人が負担していたが、両会社間には機械の使用料、経費負担等について何らの契約も存在していなかった。

(2) 福崎運輸は麻植が代表取締役に就任した時点において既に多数の債務を負担していたが、麻植は当初から資金繰りの目途もないまま、その経営に必要な金員は全て被申請人から供与を受けていた。そして、被申請人の供与額は昭和五〇年三月末日で約二、〇〇〇万円、同五一年三月末日で約七、〇〇〇万円、同五二年三月末日で約一億二、〇〇〇万円となり、同五二年一〇月末日には一億六、三〇〇万円に達した。さらに、本件閉鎖に関連して被申請人は約一億二〇〇万円を出捐したが、右金員の供与に関して被申請人と福崎運輸との間では何らの契約も担保設定もなされなかった。

(3) 福崎運輸がその作業を遂行するうえで発生させた物品事故の責任は全て被申請人が負担し、福崎運輸がその責を負うことはなかった。

(4) 福崎運輸は現場作業員に作業服を支給していたが、作業服が不足した場合には、被申請人から作業服の支給を受け、これをそのまま従業員に交付した。

なお、福崎運輸には独自の作業帽がなかったため、作業帽は全て被申請人から貰い受け、福崎運輸従業員は同社のマークをつけたままでこれを着用して作業に従事した。

(5) 福崎運輸従業員は被申請人会社福崎倉庫の謄写機を無償で使用し、冷房、浴室も福崎倉庫従業員と共用していた。

また、福崎運輸の通勤用のマイクロバスには福崎倉庫の職員も同乗していたが、燃料費は福崎運輸が負担した。

(6) 福崎運輸の事務所には被申請人会社の社内電話が設置され、その番号は同社の社内電話一覧表に表示されていたが、被申請人会社の各部門以外で社内電話が設置されていたのは被申請人の完全な子会社である岡谷サービス株式会社と福崎運輸のみであった。

以上の事実によれば、仮に形式上福崎運輸に独自の経理が存したとしても、実質上は被申請人から独立したものではないというべきである。

(六) その他の混同事例

(1) 被申請人会社従業員のための社内販売及び共同購入制度について福崎運輸従業員もこれを自由に利用することができた。

(2) 被申請人会社の創立記念日には福崎運輸従業員に対してもすし等の祝物が被申請人から交付された。

(3) 被申請人会社従業員で構成する野球チームに福崎運輸従業員もメンバーとして参加したり、応援したことがある。

(4) 福崎運輸は労働基準局等から無災害表彰を三度受けているが、その表示記載は昭和三九年には「岩朝運輸株式会社」であったのが同四一年には「岩朝運輸株式会社岡谷鋼機作業所」となり、同四二年には「岡谷鋼機株式会社岩朝運輸」と変更されている。

(5) 被申請人会社は同社の職員の死亡についても福崎運輸に通知していた。

(6) 福崎運輸宛の労働基準局からの指導表又は是正勧告書は被申請人において本人として受領していた。

(七) 被申請人の責任についての法律的主張

(1) 黙示的雇用契約の成立

福崎運輸は被申請人との契約に基づいて申請人らを被申請人の指揮命令の下に倉庫及び陸上輸送の業務に従事させているものであって、これは職業安定法四四条に違反して労働者供給事業を行うものに外ならず、従って福崎運輸と申請人らとの雇用契約も公序良俗に反して無効なものである。しかも、福崎運輸は独立の法人としての実体を有せず、且つ申請人らは被申請人の指揮命令に服して労務を提供し、それに対する賃金は被申請人が決定して支払うという意識を明確に示しており、このような状況においては遅くとも福崎運輸に被申請人の社内電話が設置され、同社から毎月の金員融資を受け始めた昭和五〇年五月頃までには申請人らと被申請人との間で、申請人らの提供する労働に対応する金額を賃金とする黙示の雇用契約が成立している。

(2) 使用従属関係から生ずる雇用関係

申請人らはいずれも被申請人の指揮命令の下に就労し、その監督に服していることは前記のとおりであるが、このようないわゆる使用従属関係が存在する以上、申請人らと被申請人との間に雇用契約の成立が当然認められることになる。すなわち、使用従属関係の存在は、ある契約が雇用契約にあたるかどうかについてのみならず雇用契約の存否についての判断基準とされなければならない。労使間における使用者の優越性は契約締結の時点からあらわれ、使用者は雇用による収益を最大限あげることを目的としながら、その責任は最少限にしようとするため、使用者はその優位を利用して実質的には使用従属関係を維持しながら、第三者を名目上の使用者とする契約の締結を労働者に強要する。従って使用者が右のような不当な利用によって使用従属関係をつくり出す場合には、その使用者と労働者との間に雇用契約の存在を認め、或いは雇用契約が存在すると同様の義務を使用者に認めなければならない。

(3) 法人格否認の法理による雇用関係

<1> 被申請人と福崎運輸の関係については前記のとおりであって、福崎運輸の法人格は形骸的なものにすぎず、被申請人は申請人らに対する関係で福崎運輸と同視され、同会社の責任を負担する義務がある。すなわち、被申請人は福崎運輸に対し約三億円もの融資によって同会社を完全に支配し、且つ収支・財産の混同、営業・業務の混同及び労務関係の混同をきたし、その他申請人らに対する直接的指揮監督権の行使がなされる等、被申請人の福崎運輸に対する支配は現実的、統一的になされ、両会社間には企業活動の実質において経済的、社会的に単一性を有するものであるから福崎運輸は被申請人会社の一部門にすぎない。しかも、本件が親子会社間の問題であることを考えると、従来主張されてきた形骸化の判断基準についても、給料の支払及び作業の支配性が中心的な要素になるとみるべきであるところ、被申請人は形式こそ福崎運輸を中継点としていたものの直接申請人らに対し作業指揮をし、且つ直接申請人らに給料、一時金を支払っていた。

<2> 親会社が子会社を完全に支配し、両会社が実質的に同一であるとき、違法又は不当な目的の下に親会社が子会社の法人格を利用した場合には、形骸にすぎない法人格をさらに濫用したものとしてその法人格は否認されるところ、福崎運輸の法人格は右濫用に該当する。すなわち、福崎運輸の本件閉鎖は被申請人会社が申請人ら福崎運輸従業員からの親会社としての責任追及を絶つこと及び申請人ら分会つぶしを目的として、福崎運輸の赤字作りをしたうえ分会員を福崎運輸もろともつぶすことに同会社の法人格を利用したものである。

4  本件解雇の無効

被申請人は昭和五二年一〇月二一日同会社の一部門である福崎運輸を閉鎖し、同年一一月一七日申請人らに対し同月二〇日付をもってそれぞれ解雇する旨の意思表示をした(以下、本件解雇という。)が、本件解雇は次の理由により無効である。

(一) 労働協約違反

昭和四九年五月申請人らが所属する全港湾大阪支部福崎運輸分会(当時岩朝運輸分会)は福崎運輸(岩朝運輸)との間に労働協約を締結し、右協約は現在も効力を有している。ところで、右協約第一七条には「会社は従業員の雇入解雇については組合と協議の上これを行う。但し、基本的事項については組合の同意を要する。」と定められている。本件企業閉鎖及び全員解雇は当然に右「基本的事項」に該当するが、分会は企業閉鎖或いは全員の解雇に同意した事実はない。

(二) 不当労働行為

(1) 昭和四二年岩朝運輸の倉庫及び陸上輸送の従業員らは労働組合を結成しようとしたところ、これを察知した被申請人は同年六月五日組合結成の中心人物の一人であった横山照一を解雇し、これを弾圧せんとしたが、右従業員らはこれに屈せず全港湾関西地方沿岸南支部(現在の大阪支部)に加入し同支部岩朝運輸分会を結成した。

(2) 被申請人及び岩朝運輸は申請人ら従業員の全港湾加入を認めようとせず、非組合員を集めて分断その他の全港湾つぶしを行ったので、分会はやむを得ず九日間のストライキを打ち、被申請人会社大阪支店において団体交渉を求めた結果、市原商店の姫田専務が仲介して同月二二日被申請人及び福崎運輸は従業員らの全港湾加入を認知すると同時に横山に対する解雇も撤回するに至った。

(3) その後、被申請人は申請人らから親会社としての責任を追及されることを回避するために岩朝運輸の株式を市原商店、麻植孝幸に順次譲渡したことは前述のとおりである。

麻植社長就任の直後、被申請人は当時の日本港運協会の副会長(後に会長)高嶋四郎雄を福崎運輸の代表取締役に就任させて強硬な弾圧を含めた全港湾に対する労務対策を講じようと試みたが、これに対して分会が反対したことは勿論、全港湾との全面的対決を恐れた大阪港運協会も反対したため、ついに高嶋の起用は実現しなかった。

(4) 分会はさらに強硬に被申請人との団体交渉を求めた結果、昭和四八年九月一九日岩井大阪支店長と直接交渉することに成功し、その後作業連絡会議という名目の実質的団交が開催されたことは前述のとおりであり、分会は一貫して被申請人の親会社性を直視してその責任を追及し続けた。

(5) 被申請人は分会を嫌悪し、いずれ福崎運輸の整理という形式で分会を排除せんと企図し、福崎運輸の収支を改善する努力を怠ったばかりか、意図的に赤字を累積させていった。すなわち、昭和四九年一〇月被申請人は特殊鋼、厚板、パイプ、薄板等を福崎倉庫で取扱うことを中止し、これを営業倉庫に保管することとし、新たに吾嬬製鋼千葉工場で加工された磨棒鋼を福崎倉庫で取扱うことにしたため、福崎運輸の荷扱い量は相当に減少した。と同時にこのことは被申請人の親会社性を隠蔽するため形式的に被申請人以外の取引先をつくり出すという目的もあった。さらに、市原商店木津川倉庫に預けた松下電器への薄板も福崎運輸で扱わせようとしなかった。

(6) 右のように被申請人は福崎運輸に巨額の赤字を累積させ、同会社の整理の口実を作出したうえ、昭和四八年七月倉庫運輸部を廃止し、同五二年七月一五日鉄鋼部の組織縮少合理化と時期を合わせて福崎運輸の整理を決定したのである。

(7) ところで、福崎運輸と全港湾との間の労働協約一七条によれば、従業員全員の解雇については組合との事前協議のみならず、組合の合意が必要とされているところ、被申請人はこれを完全に無視したばかりか、本件閉鎖通告後、個々の分会員に対し退職金上積を武器に分会の脱退及び解雇承諾を迫った。さらに、被申請人は分会員の脱落を早めるために法を無視して昭和五二年一二月二八日特別清算の申立をなし、翌五三年一月一三日大阪地方裁判所の右開始決定を得ている。してみると被申請人の本件閉鎖は、福崎運輸を消滅させ、分会員らを完全に排除するというよりも、分会員を切崩しこれを全港湾から脱退させ且つ少人数にした後、福崎運輸を再開させる意図も窺われる。

(8) 以上の経過からみると、被申請人が全港湾に加入する申請人らを嫌悪して排除するために本件閉鎖をなし、本件解雇を通告したことは明らかである。

(三) 解雇権の濫用ないし正当理由の不存在

本件解雇は被申請人の一部門である福崎運輸の赤字を理由とする閉鎖を前提とするものであるところ、右赤字は被申請人が意図的に作出したものであるか、或いは、少くとも被申請人が当然なすべき努力を怠ったがために積重ねられた結果であるから、本件解雇について右赤字は何ら正当事由とならず、これを理由とする右解雇は解雇権の濫用であること明白である。

また、仮に被申請人において福崎運輸を閉鎖する理由が正当に存在するとしても、被申請人会社の現業部門を含む他の部署に申請人らを配転させる余地もあるというべきである。

5  申請人らは昭和五二年一一月の本件解雇当時において、それぞれ別紙賃金表記載のとおり各賃金の支払を受けていた。

6  申請人らは自ら得る賃金の他に、その生活を支える収入がないところ、本件解雇によってその道を閉され、本案判決の確定を待っていては回復し難い損害を受けるおそれがある。

7  よって、申請人らは申請の趣旨記載のとおりの仮処分を求める。

二  申請の理由に対する答弁

(申請の理由に対する認否)

1 申請の理由1及び同2の各事実は認める。

2 同3について

(一) 同(一)(1)の事実中、福崎運輸の倉庫部門が被申請人会社従業員を引取って出発したとの点及びその業務が当初から被申請人の取扱商品に限定されていたとの点を否認し、その余は知らない。

同(一)(2)の事実中、申請人ら主張の時期に被申請人が岩朝運輸の株式の六〇パーセントを取得したこと、天野、皆部及び沢田が代表取締役に就任したこと並びに岩朝運輸の免許取得の点は認め、その余は否認する。

同(一)(3)の事実は否認する。但し、申請人ら主張の時期に市原商店が株式を取得し、姫田が代表取締役に就任したとの点は認める。

同(一)(4)の事実中、麻植が市原商店の出身であること及び申請人ら主張の時期に被申請人が倉庫運輸部門を廃止して自家倉庫を営業部門で担当したとの点を認め、その余は知らない。

(二) 同(二)(1)の事実中、福崎運輸の役員が名目上のものにすぎず、同会社の実権は被申請人が把握していたとの点を否認し、その余は認める。

同(二)(2)の事実は知らない。

同(二)(3)の事実は認める。

(三) 同(三)(1)及び同(三)(2)の各事実は否認する。

同(三)(3)の事実中、岡谷福崎作業連絡会議の開催の点を認め、その余は否認する。

右作業連絡会議は申請人らの強い要望によって開催されたもので、その席上主として業務の円滑化に関する事項が話題になったにすぎず、決して団体交渉ではない。

同(三)(4)の事実は認める。但し、念書の趣旨については否認する。

(四) 同(四)(1)の事実は認める。但し陸上輸送の取引先は被申請人のみではない。

同(四)(2)の事実は否認する。

同(四)(3)の事実は認める。

同(四)(4)の事実は否認する。

同(四)(5)の事実中、福崎運輸の荷役業務につき被申請人の伝票或いはテレックスによって指図していたことは認め、その余は否認する。

同(四)(6)の事実中、福崎運輸が一切の書類を作成していなかったこと及び被申請人において福崎運輸の業務に関する文書類等の管理をしていたとの点を否認し、その余は認める。

同(四)(7)の事実は知らない。

同(四)(8)及び同(四)(9)の各事実は認める。

(五) 同(五)(1)の事実中、福崎運輸が一切の生産手段を有していなかったこと及び被申請人の財産を無償で使用していたとの点を否認し、その余は認める。

同(五)(2)の事実中、被申請人が福崎運輸に対し経営の必要費を全て供与していたとの点を否認し、その余は認める。

被申請人が福崎運輸に対し結果的には相当高額の融資をなしたのは、申請人ら全港湾からのいわれなき攻撃を恐れたためである。

同(五)(3)の事実は否認する。そもそも損害が発生するような事故はなかった。

同(五)(4)の事実は否認する。

同(五)(5)の事実は認める。

同(五)(6)の事実は知らない。

(六) 同(六)(1)ないし同(六)(3)の各事実は知らない。

同(六)(4)の事実は認める。

同(六)(5)の事実は否認する。但し、福崎運輸従業員との仕事上の関係で一度だけ通知したことはある。

同(六)(6)の事実は知らない。

(七) 同(七)は全て争う。

3 同4について

(一) 同(一)の事実は知らない。

(二) 同(二)(1)の事実中、被申請人が横山を解雇したとの点を否認し、その余は認める。

同(二)(2)の事実は知らない。

同(二)(3)の事実は否認する。

同(二)(4)の事実中、岩井支店長が麻植に高嶋を紹介したことは認めるが、その余は否認する。

同(二)(5)の事実中、作業連絡会議が団交であるとの点を否認し、その余は認める。

同(二)(6)は否認する。

同(二)(7)の事実中、倉庫運輸部の廃止の点を認め、その余は否認する。

同(二)(8)の事実中、福崎運輸の清算手続の点を認め、その余は知らない。

同(二)(9)は争う。

(三) 同(三)は争う。

4 同5の事実は知らない。

5 同6及び同7は争う。

(申請の理由に対する被申請人の反論)

1 被申請人と福崎運輸との関係について

福崎運輸は被申請人が出資して設立したような会社ではなく、一時期を除いて、両会社間には人的関係も資本関係も存在せず、福崎運輸は被申請人とは別個独自の就業規則を有し、且つ申請人ら労働組合との間で労働協約を締結しており、申請人ら福崎運輸従業員に対する作業指揮、人員配置、労務管理、残業指示及び勤怠の管理等は全て福崎運輸の麻植社長をはじめ管理職がこれを行い、被申請人が福崎運輸の事業に介入したことはない。被申請人と福崎運輸との関係はあくまで請負契約の荷主と請負人の関係にすぎない。

2 黙示的雇用契約の成立について

福崎運輸は実態を有する企業体であって、決して被申請人に従属して単なる労務供給を業としているものではないうえに、右のとおり、申請人らは福崎運輸の管理職の指揮命令に服して作業に従事していたのであって、被申請人との間に事実上の使用従属関係も存在していない。

3 使用従属関係から生ずる雇用関係について

被申請人と申請人らとの間に使用従属関係が存しないことは言うまでもないが、仮に事実上の使用従属関係が存するとしても、本件において被申請人と申請人らとの間に労務供給に関する契約等、何らの契約も存在しないのであるから、雇用契約関係という法律上の関係を認めることはできない。

4 法人格否認の法理による雇用関係について

法人格否認の法理の発想は、株主有限責任の原則を貫くことが正義衡平に反する場合にこれを否定し、法人の負担する債務を直接株主にも負わせる法理である。本件被申請人が福崎運輸の株主でないこと、しかも麻植孝幸が被申請人を代理若しくは被申請人の単なる各義人として株式を保有しているような関係にもないのであるから、被申請人に対し使用者としての責任を負わせることはそもそもできない。

さらに、被申請人が福崎運輸を意のままに道具として使用し得る支配的地位等(法人格の形骸化)の関係もなく、また、被申請人が福崎運輸の法人格を違法或いは不当な目的に利用しているといった事実等(法人格の濫用)も全くないのであるから、被申請人が福崎運輸の責任を負担しなければならないいわれは毫も存しない。

第三証拠(略)

理由

第一  申請の理由1及び2の各事実は、当事者間に争いがない。

第二  申請人らは、福崎運輸は形式上法人格を有するが、実質的には被申請人会社の一部門であって両会社は同一体であるから、申請人らと被申請人との間に黙示の雇用契約が成立しているか或いは雇用契約が存在するとみなすべき使用従属関係にあるか若しくは法人格否認の法理により申請人らに対する関係では福崎運輸の法人格は否認されるべきであるから、申請人らは被申請人に対し雇用契約上の権利を有する旨主張するので、以下まず、福崎運輸の実態を中心に被申請人との関係について概観することとする。

一  福崎運輸及び被申請人の概要

当事者間に争いのない事実に(証拠略)によれば、次の事実が疎明される。

1  福崎運輸は貨物自動車運送事業及び港湾運送事業(沿岸荷役作業)を営業目的とし、登記簿上本店を大阪市西区川口一丁目六番一号(但し、昭和五二年九月一一日以前は同区本田二番町三番地)に置く資本金一〇〇万円の株式会社であって、役員は麻植孝幸を代表取締役とする他に取締役二名及び監査役一名の構成であった。また、職員等は昭和五二年当時、経理担当部長に伊丹常夫、配車担当課長格として長嶋文夫、事務員として福島某、現場従業員は沿岸荷役関係一七名、陸上運送関係九名であった。

2  被申請人は本店を肩書地に置き、産業資材、特に鉄鋼及び非鉄金属関係の商品について売買等を主たる業務とする商社であって、資本金一五億円の株式会社である。同会社は右本店のほかに東京本社、大阪支店等をはじめ全国三八か所に事業所を持つほか、海外各地に事業所或いは海外法人を有し、その従業員数は昭和五三年一月当時で一四一二名であった。なお、被申請人は大阪支店関係で大阪市内に小林倉庫(配送センター)及び福崎倉庫の二か所の自家用倉庫を有していたが、前者においては継手バルブ、チェーンブロック、パイレン等の比較的軽量の商品を取扱っていたのに対し、後者においては極めて重量のある鉄鋼材を取扱っていた関係上、同倉庫における作業については専門的技術を有する者に請負わせる必要があった。

3  福崎運輸は、昭和三四年三月一八日大阪陸運局長から「運送する貨物は鉄鋼及び非鉄金属並びにその製品とする」旨の限定付免許を、さらに同三七年八月二二日近畿海運局長から「被申請人会社の鉄鋼材、銑鉄に限る」旨のいわゆる荷主限定付の免許をそれぞれ取得しているところ、被申請人との間に荷役業務及び運送業務について請負契約を締結し、福崎運輸は被申請人の下請会社としてその取引のほとんどを同社に依存していた。

二  福崎運輸の沿革

当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると次の事実が疎明される。

1  岩朝運輸の設立

(一) 福崎運輸の濫觴は昭和一六年頃創業の岩朝組にあるところ、岩朝組は、その頃まで被申請人の前身である岡谷合資会社に勤務していた岩朝増太郎によって被申請人会社大阪支店専属の労務供給、陸上貨物運送を業務内容として創立されたもので、増太郎はいわゆるワンマン経営者として業務の全般を取り仕切り、後には被申請人の鋼材以外にマキノ商店の材木等の運送も扱うようになった。

(二) 増太郎は昭和二九年七月二八日岩朝組を株式会社に組織変更し、本店を被申請人所有の本田倉庫に置き、発行済株式数一、〇〇〇株(一株の額面五〇〇円)、資本金五〇万円をもって一般区域貨物自動車運送事業・港湾運送事業を営業目的とする岩朝運輸を設立した。岩朝運輸の主要取引先は岩朝組と同様被申請人であったが、岩朝運輸の株式は増太郎及び岩朝一族並びに被申請人以外の取引関係者が保有し、その経営は専ら増太郎及びその一族が行い、その後昭和三二年一一月二六日岩朝運輸は資本金を一〇〇万円に増資したが、全株式は依然岩朝一族が保有し、増太郎が代表取締役であることに変りはなかった。

2  被申請人の株式取得等

(一) 昭和三六年五月頃から被申請人が岩朝運輸の発行済株式の五分の三に当たる一、二〇〇株を取得し、被申請人会社大阪支店の出身者天野喜一、同皆部敏夫及び右支店から出向した沢田貢が順次増太郎と共同して岩朝運輸の代表取締役に就任し経営に参画してきたが、依然として増太郎の子岩朝徳蔵が専務取締役の地位にあったほか、同健一、同壮光ら増太郎親子も従前通り経営に当っていた。

(二) その頃、岩朝運輸の事務所は被申請人本田倉庫の所在地が道路指定を受けるためもあって、被申請人福崎倉庫内に移された。

(三) また、被申請人が福崎運輸の株式六〇パーセントを取得していた期間には、毎月一度の割で被申請人会社大阪支店において、被申請人及び福崎運輸合同の役員会が開催されていた。

(四) なお、岩朝運輸は昭和三九年から同四二年の間に労働基準局等から無災害表彰を三度受けているが、その表彰状に表示された被表彰者名は、昭和三九年は「岩朝運輸」であったのが、同四一年には「岩朝運輸岡谷鋼機作業所」となり、さらに同四二年には「岡谷鋼機株式会社大阪支店岩朝運輸」となっている。

3  市原商店の支配

(一) 昭和四四年六月頃市原商店は、同社の規模の拡大化に伴いその売上げの増大を企図して、被申請人が所有していた岩朝運輸の株式六〇パーセントを譲受け、さらに岩朝一族が保有していた四〇パーセントの株式も併せて取得し、岩朝運輸の株式の全てを所有するに至った。これに伴い被申請人関係の者は全て岩朝運輸の役員を退任し、岩朝一族も同社を退社した。

(二) その後、昭和四八年に麻植孝幸が岩朝運輸の全株式を取得して代表取締役に就任するまでの間、同会社の代表取締役に市原商店の専務取締役姫田清美が就任したのをはじめ、岸朝運輸の役員は全て市原商店から派遣され、さらに市原商店は運輸関係の責任者に同社の長嶋文夫、作業関係の責任者に原田和次をそれぞれ送り込み、右長嶋及び原田が現場の管理監督に当り、一方岩朝運輸の株主総会、取締役会は全て市原商店の本社で開催され、組合との団体交渉には市原商店の河田比与士取締役が出席するなど、右期間、市原商店が岩朝運輸の経営陣及びその従業員を支配下におさめ、同会社の経営を掌握した。

(三) なお、市原商店と被申請人とは全く別個の独立した企業であり、右時期において被申請人と岩朝運輸との間に人的交流はなく、また、市原商店が被申請人に対し岩朝運輸の経営について指示を仰いだり報告をする等のこともなかった。

4  市原商店の撤退と麻植孝幸の株式取得

(一) 市原商店としては、当初岩朝運輸の運営に当るに際して被申請人からの何らかの得益を一方的に期待していたもののようであるが、そのような利点はほとんどなかったばかりでなく、昭和四二年六月頃全港湾沿岸南支部岩朝運輸分会を結成した申請人らが春闘、一時金の交渉の都度市原商店本社に押しかけて大衆団交を要求してきたので、市原商店は、同社内部の労働組合(全港湾車両支部に所属)が激しい闘争戦術を採る岩朝運輸分会から種々の影響を受けるおそれがあることを懸念して、昭和四八年の春闘を契機に岩朝運輸からの撤退を決意した。

(二) そして、市原商店は昭和四八年五月頃被申請人に対して岩朝運輸の株式を買取ってほしい旨要求したが、被申請人は商社であるため荷役業務或いは陸上輸送業務には不慣れであるうえに労働問題に対しても自信が持てないことを理由に右要請を拒絶した。そこで、市原商店は当時同社の営業部次長であった麻植孝幸に岩朝運輸の株式を譲渡し、同人の手に岩朝運輸の経営を承継させたい旨の意向を被申請人に伝えるとともに爾後においても岩朝運輸に対する発注方の依頼をしたところ、被申請人は、荷主として発注した業務が遺漏なく処理される限り異存はないとして右申入れを了承した。

(三) 麻植は、岩朝運輸の経営を承継するに当り、岩朝運輸の経営実態について、いずれも市原商店出身の取締役であった作業担当佐藤譲、運輸兼労務担当河田比与士及び経理担当小林宏からそれぞれ説明を受けたうえ爾後の見通しについて試算をし、また後記二〇〇万円の出資についても、被申請人から、同社の月間荷扱い量についてはできるだけ一万トンが確保されるよう努力する旨等の言があったことから右金員を出捐しても利点があると判断し、右金額に応じたものである。

麻植は昭和四八年六月市原商店を退職し、退職金のうちから二〇〇万円を出費して岩朝運輸の全株式を買い取り、同月一二日同社の代表取締役に就任し、同年八月福崎運輸と商号を変更した。

(四) ところで、麻植が岩朝運輸を市原商店から引き継いだ際、同社は岩朝運輸に対し一、一九〇万円の債権を有しており、右金員の返還を請求された麻植は、被申請人に懇請して請負代金の前払いという形式で同会社から昭和四八年七月二五日に一、〇四〇万円を借受け、市原商店に対する返済金にあてたが、右金員は後記のとおりその後分割返済された。

三  福崎運輸の実態

当事者間に争いのない事実に(証拠略)を総合すると以下の事実が疎明される。

1  資本及び株主

前叙のように、福崎運輸は、その発行済株式総数が二、〇〇〇株、資本金一〇〇万円の会社であり、同会社は昭和四八年以降全株式を麻植孝幸が保有する、いわゆる一人会社である。

2  役員等の人事構成

福崎運輸の役員は、代表取締役麻植孝幸、取締役伊丹常夫、同麻植朝、監査役大島隆一、であるが、伊丹は岩朝組当時からの従業員であり、麻植朝は孝幸の妻、大島は孝幸の遠縁に当る者で、右麻植朝及び大島は実際には福崎運輸の経営には参加したことはなく、名目上の役員にすぎず、経営は専ら孝幸一人で切り盛りし、右伊丹は部長格として経理又は総務関係を担当し、市原商店から出向中の長嶋文夫が課長格として、倉庫関係及び車両関係の責任者として配車の管理及び入出庫について荷役の監督に当った。このようなことから、同社内では麻植孝幸を社長、伊丹を部長、長嶋を課長と呼称していた。

3  人事、労務関係

(一) 福崎運輸においては昭和四八年以降いわゆる一人会社となったため株主総会も取締役会も開催されたことはなく、実質的には麻植及び伊丹の両者間で協議検討していたが、形式的には定期的に議事録も作成していた。

(二) 従業員の採用についても麻植社長と伊丹部長が面接し、且つ決定した。また採用後の労働条件についても右両名が組合との労働協約に基づいて決定し、賃上げ及び一時金についての全港湾関西本部、同大阪支部及び分会との団体交渉も終始麻植社長が出席し、分会との交渉には伊丹部長も出席して組合側との交渉に当った。

(三) ところで、麻植は昭和四八年の年末一時金の団体交渉以来、一交渉期間中に二、三回に亘って組合との交渉経過を被申請人に対し報告していたが、右報告は後記のとおり、麻植が被申請人に対する融資依頼を円滑に進めるために自らの判断においてなしたもので被申請人の指示を仰ぐとか被申請人が報告を義務づけたものではなかった。従って、麻植は右報告に際して組合からの要求書を常に持参した訳ではなく、妥結後の協定書を提出したことは一度もなかった。また、被申請人から麻植に対して賃上げ或いは一時金の額等について制約を加えることもなかったし、融資によって福崎運輸の経営若しくは労務等に関与することもなかった。

(四) 福崎運輸は岩朝運輸当時から、被申請人とは別個に独自の就業規則を有し、且つ申請人ら分会との間に労働協約を締結しており、福崎運輸と被申請人との間には賃金体系をはじめ、労働条件の内容に差異があった。

(五) 福崎倉庫に常駐する被申請人の従業員は出勤簿によって勤怠状況が示されていたが、福崎運輸においては、独自に設置したタイムレコーダーによって勤怠管理がなされ、右レコーダーに基づいて伊丹又は女子事務員が各従業員の給与計算をしていた。

(六) また、申請人らに対する残業についての決定、右時間の確認、把握は福崎運輸の管理職によって行われた。

(七) ところで、申請人ら福崎運輸従業員の要望によって昭和五一年七月三〇日以降同五二年三月までに四回「岡谷福崎作業連絡会議」が開催され、同会議には福崎運輸から麻植社長及び申請人ら従業員代表、被申請人から福崎倉庫所長及び同倉庫担当者が出席し、同席上では主として作業の円滑化について相互に意見、希望を交換し、時として福崎運輸側から荷扱い量の増量についての要望もなされた。しかし、右会議は作業現場における話し合いの場として持たれたものであって、申請人が主張するような実質的な団体交渉とはいえず、またこれを利用して被申請人が福崎運輸の労務管理に当ったりしたものではなく、従って、被申請人が福崎倉庫所長らに対し、右会議について特段の指示をしたようなこともなかった。

4  営業及び業務関係

(一) 福崎運輸の荷役業務については、一〇〇パーセント被申請人の発注に依存しており、右業務によって福崎運輸が得る収入は全体の収入に対して昭和五〇年度で四八パーセント、同五一年度で四三パーセント、同五二年度で四七パーセントとほぼ五〇パーセントに近いものであった。

また、陸上輸送業務については、全体の約七〇パーセント(昭和五〇年度七四パーセント、同五一年度七二パーセント、同五二年度六八パーセント)が被申請人の発注にかかるものであり、その余の三〇パーセントは被申請人の紹介又は福崎運輸独自の営業活動による取引先からの発注によるものであった。

なお、麻植社長は、昭和五二年五月頃営業活動を強化するために長嶋課長を営業活動に専業すべく配置した。

(二) 荷役業務の作業内容は、水切り(船から岸壁に荷上げする作業)、横持ち(岸壁から倉庫まで搬送する作業)、入庫、出庫及び配かえ(倉庫内で荷の配置がえをする作業)に分類されるが、右各作業における人員配置及び作業指揮は原則として麻植社長、伊丹部長及び長嶋課長ら管理職によってなされたが、水切り後の具体的な荷役作業については、予め荷主である被申請人から交付されたテレックスの写しに基づいて福崎運輸の管理職が独自に作業指図書を作成し、これを現場の作業員に交付してなされていた。

しかし、潮ぬれ等の荷いたみの確認、処理及び錆品の処置については、福崎倉庫駐在の被申請人従業員二名が直接の指示を与え、時には置場等の指示についても被申請人が指示することもあった。

(三) 荷役作業のうち副作業と称する大阪市港湾局における作業は、当局の要求によって、麻植社長とともに被申請人の営業担当者が立会いのうえなされた。

(四) 陸上輸送業務についての主たる作業は配車であるが、これは全て伊丹部長及び長嶋課長によって作業指揮がなされた。

(五) 荷役業務について福崎運輸では被申請人との間で伝票の切りかえはなされず、福崎運輸従業員の作業は全て被申請人作成の伝票に基づいてなされた。これは福崎運輸に独自の伝票がなかったことによるものであるが、このような取扱は昭和四九年四月頃から福崎運輸が事務合理化のために被申請人に要請して採られるようになったもので、福崎運輸としては荷役業務については作業台帳に品目及び数量を転記し、陸送業務については積み地、届け先、品名、重量、単価及び金額を作業報告書に転記することによって、被申請人に対する代金請求その他の業務を処理していた。従って、福崎運輸では在庫台帳も作成していなかった。

(六) 被申請人は福崎倉庫安全衛生委員会を組織していたが、右委員会は福崎運輸従業員についてもその服装、機械器具、荷役作業態度、倉庫の保管状態等を点検調査して巡回報告書を作成していた。

5  収支及び財産関係

(一) 福崎運輸は陸上輸送業務に要するトラック九台、横持ち用トラック一台、マイクロバス一台を所有していたが、その他に見るべき資産はなく、事務所をはじめ、荷役業務に要するクレーン等は被申請人から賃借していた。すなわち、福崎運輸は被申請人から同社所有の福崎倉庫の一階部分を岩朝運輸当時から賃借し、昭和四四年五月一日に賃料月額三万円とする契約書が作成され、同四八年四月頃三万八、〇〇〇円に増額された。また、クレーン等の使用については福崎運輸は被申請人に対し一トン当り七〇円の機械使用料を支払っていたが、同四九年二月以降未払になっている。

(二) 被申請人は麻植の融資依頼に応じて昭和四八年七月九日から福崎運輸に融資をするようになり、同五二年一〇月末日当時融資残額は約一億六、〇〇〇万円にも達していた。

右融資は次の事情によりなされるにいたったものである。すなわち、麻植と被申請人との間には明確な融資に関する約定が存したわけではなかったが、麻植が昭和四八年六月末頃、被申請人に対し夏期一時金の支払の一部として五四〇万円の融資を依頼し、さらに前記のとおり同年七月上旬に市原商店への返済金として一、〇四〇万円の融資を要請したところ、被申請人は、当時福崎運輸に対する荷役代金等の支払が月額八〇〇万円ないし九〇〇万円あることからこれが担保の役割を果すことと、融資を拒絶した場合には一時金の支払をめぐり福崎運輸内に混乱が生じ、被申請人発注の荷役業務に支障をきたすことを考慮して麻植の右申入れに応じ同年七月九日に五四〇万円を、同月二五日に一、〇四〇万円を荷役代金等の前払いとして提供した。ところで右金員のうち五四〇万円は同年七月から一一月の間に毎月一〇八万円宛分割返済され、一、〇四〇万円も同年七月から同四九年二月までに毎月約一三〇万円宛分割返済されたが、その後も被申請人は麻植社長の要請に従い福崎運輸に対し融資を続け、昭和四八年九月四日に三〇〇万円、同年一二月五日に四五〇万円、同月一〇日に一、〇〇〇万円、同四九年度には二月五日に三〇〇万円を融資したのをはじめ計四回に亘り都合し、同五〇年以降は福崎運輸の経営が極度に悪化したため毎月不足資金の融資をするようになった。しかし昭和四九年四月以降福崎運輸は月額一〇〇万円の返済を数回したのみで支払不能となり、融資残額は昭和五〇年三月末で約三、〇〇〇万円、同五一年三月末で約七、〇〇〇万円、同五二年三月末で約一億二、〇〇〇万円と累増した。

被申請人が右のように多額のしかも返済目途のない融資を続けた背景には、被申請人がかつて大阪支店事務所内に全港湾組合員約一〇〇名が侵入して事務机等が占拠された経験を有するためと昭和四八年八月九日及び同年九月一九日に全港湾組合から福崎運輸従業員に関する身分保障の要求が提出されていたために、被申請人が福崎運輸に対する融資を拒絶することによって福崎運輸従業員に対する賃金、一時金の支払が不能になった場合、再び全港湾組合員が多数押しかけてくる等して被申請人の業務を妨害することを懸念したことが大きな動機となっていた。

(三) 被申請人の福崎運輸に対する右融資は銀行振込の形でなされ、両者の間には利息の約定も担保の設定もなく、借用証等の作成もなされなかった。

(四) 麻植は右融資の依頼を円滑に進めるため、昭和四八年一二月頃から被申請人に対し毎月度の資金繰表を提出し、月次決算の報告を定期的にするようになったが、これはあくまで麻植独自の判断であって被申請人の指示に基づくものではなかった。

(五) さらに、被申請人は福崎運輸の本件閉鎖に関連して一億二〇〇万円を福崎運輸に出捐しているが、これは返済の可能性がないことを承知のうえ、弁護士の意見に基づいて出捐したものである。

(六) 福崎運輸と被申請人若しくはユーザーとの間で、福崎運輸がその作業を遂行するうえで発生する物品事故の責任関係について契約又は協定等の締結はなされていなかったが、薄板、コイル関係の荷物の端が傷んだ場合に福崎運輸がその損害賠償について請求を受けたことはなかった。

(七) 福崎運輸ではその従業員に対し、夏及び冬の作業服を毎年それぞれ支給していたが、本件閉鎖直前には右支給は中止された。

(八) 福崎運輸の事務所には被申請人会社の社内電話が設置されて、その番号は同社の社内電話一覧表に記載されていた。

以上の事実が疎明され、申請人西田秀昭本人尋問(第一回)の結果中、右疎明事実に抵触する部分はこれを採用しない。

四  以上の疎明事実に基づき、被申請人と福崎運輸との関係を検討する。

1  福崎運輸は昭和二九年岩朝増太郎及びその一族によって設立され、発足当初から被申請人の下請会社として荷扱い量の一〇〇パーセント近くを被申請人に依存していたが、同会社とは別個独立に設立され、経営されてきた。もっとも昭和三六年ないし同四四年の間、被申請人が福崎運輸の株式の六〇パーセントを取得し、且つ役員も被申請人出身者又は出向者が就任する等被申請人と福崎運輸との関係が緊密となり、過半数の株式を有する被申請人の福崎運輸に対する支配的要素が強まった時期があったが、昭和四四年には市原商店が福崎運輸の全株式を取得し、同社の役員は勿論現場責任者に至るまで市原商店が独占し、従業員らに対する関係においてもその人事、労務全てにわたってこれをその掌中に収めるに至った。このように昭和四八年までは市原商店が福崎運輸を完全に支配してき、この間被申請人は福崎運輸に対しては以前と同様単なる荷主としての関係しか有しなくなった。そしてさらに昭和四八年以降は麻植が市原商店の立場をそのまま承継したのである。ところで荷役業務については被申請人から伝票又はテレックスを通じて一定の指示がなされるのであるが、申請人ら福崎運輸従業員に対する具体的な指揮監督は原則として福崎運輸の管理職によってなされること、また申請人ら従業員に対する人事及び労務関係は麻植社長及び伊丹部長の責任で決定されていたこと、さらにその労働条件についても被申請人従業員とは異なる独自の内容を有していたこと、さらに福崎運輸は設立以来解散に至るまで独自の損益計算書、貸借対照表等の計算書を作成していたことが窺える。

2  なるほど、被申請人は昭和四八年七月以降福崎運輸に対し無利息且つ無担保で融資をするようになり、本件閉鎖時点で融資残高が約一億六、〇〇〇万円にも達していたこと及び本件閉鎖に当り、一億二〇〇万円を提供するという通常の取引では考えられない異常な事情が右両会社間に存在し、これは被申請人が全港湾組合を極端に恐れていたことによること前記認定のとおりであるが、これは、また岩朝運輸から市原商店が撤退して麻植が福崎運輸の代表取締役に就任する際に麻植と被申請人との間で資金援助についての暗黙の合意が存在したことによると推認しえないわけではないが、それ以上に直接的具体的な支配従属の関係を推認しえないし、その他右関係を推認しうべき特段の事情も存在しない。そうすれば右のような合意の存在をもって直ちに被申請人の福崎運輸に対する支配もしくはその可能性を云云することは早計に過ぎるうえに、本件においては前叙のとおり反対疎明に照らし被申請人の支配性は否定せざるを得ない。

3  また、申請人ら主張のその他の福崎運輸と被申請人の収支財産、営業、業務、労働関係の混同事例として掲げるものは、或いは一回性のものであったり、或いは友好的又は好意的な関係によるものであるから、これらの事実だけで被申請人と福崎運輸との関係を律することはできない。

以上によれば、福崎運輸と被申請人との間には資本関係においても、人的関係においても何らの結びつきは存在しないというべく、被申請人が福崎運輸に対し、これを経済的に支配していたとか、営業政策等企業活動全般にわたって直接的統一的に管理支配していたなどとは到底いえないものである。従ってまた、被申請人と福崎運輸との関係は後者が前者の一部門であったということもできず、直接的具体的な支配従属関係に立ついわゆる親子会社の関係にあったともいえない。

第三  そこで、以上説示した事実関係を前提として、申請人らと被申請人との雇用関係の存否について判断する。

一  申請人らが福崎運輸との間で明示の雇用契約を締結していたことは申請人らの自認するところである。そこで申請人らがその後(昭和五〇年までに)被申請人との間で黙示的に労働契約を締結したかを考えるに、なるほど申請人らの労務提供の場所が被申請人福崎倉庫又は被申請人岸壁であった関係上、時には被申請人が福崎倉庫所長又は同倉庫従業員を通じて申請人らに対して作業実施にあたり個々の指揮又は指示をしたことは否めないが、通常の場合、申請人らは福崎運輸の管理職の指揮・命令の下に拘束を受けて就労していたもので、且つ人事・労務関係等全般にわたり福崎運輸の管理下にあったのであるから、被申請人と申請人らとの間にいわゆる支配従属ないしは使用従属関係が存在していたとは到底認めることができない。加うるに、福崎運輸と申請人らの雇用契約が専ら福崎運輸が被申請人に労働者を供給して中間搾取をする目的のためにのみ、その手段として結ばれたものにすぎず、福崎運輸が独自の実体を喪失してしまい、実質的には被申請人の労務担当の職制にすぎない等とも決して認められず、他に被申請人と申請人らとの間に労働契約が黙示的に締結されたことを認めるべき事情も存在しない。従って、申請人らが被申請人に対して使用従属関係に立つ故に被申請人との間に雇用契約が存在する旨の主張は理由がない。

二  さらに、申請人らは同人らに対する関係では福崎運輸の法人格は否認さるべきである旨主張する。

ところで、法人格否認の法理は会社なる法形態がその付与された目的の範囲をこえて不法に利用される場合には、特定の法律関係においてその法形態を排除して背後にある実体をとらえ、法人格あるところに法人格なきと同様の法的処理をなすことによって妥当な結論を導こうとするものである。すなわち、法人制度の目的に照らし、独立の法人格を形式的に貫くことが正義、衡平に反する場合に一定の要件のもとに、その法人格の機能を停止せしめ、会社とその実体をなす個人若しくは別法人とを法律上同一視するという理論である。

従って、いまある法人の人格が形骸化している場合又は不法或いは不当な目的に利用される場合には、右法人制度の目的に照らせば当然当該法人格を否認しうるが、このような場合には否認される法人(形式会社)と個人又は別法人(実体)を同一視しうる場合、少なくとも実体たる個人又は別法人が形式会社を直接かつ統一的に支配しているといえる場合でなければならない。

しかしながら、本件についてはすでに認定判断したところから明らかなように、福崎運輸は被申請人の直接的かつ具体的な支配下に服しているとは認められず、また福崎運輸は人的、資本的にも被申請人と独立し、自己の計算のもとに営業を行い、申請人らとの労働条件の決定も麻植社長の判断のもとに独自でなされてきたのであるから、その法人格が形骸化している場合に該当せず、さらにその法人格が不法或いは不当な目的に利用されてきたということはできないから、福崎運輸の法人格は申請人ら並びに被申請人との関係では否認し得ないものである。従って、福崎運輸の法人格を否認し得ることを前提とする申請人らの主張は理由がない。

第四  以上要するに、いずれの点においても、申請人らと被申請人との間に労働契約関係の存在を認め、申請人らについて被申請人に対し労働契約を締結した者と法律上同一の従業員たる地位を有していたことを肯認することはできないから申請人らの被申請人に対する雇用契約上の権利を有する旨の主張はその余の点につき判断を加えるまでもなく採用することはできない。

第五  そうすると、申請人らと被申請人との間に雇用関係の存在することを前提とする申請人らの被申請人に対する本件仮処分申請はその余の点について判断を加えるまでもなく理由がなく、また本件では保証をたてしめて疎明に代えさせることも相当ではない。

以上のとおりであるから本件仮処分申請はいずれもこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大久保敏雄 裁判官 最上侃二 裁判官 羽田弘)

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